アラブの冒険家たち

“Old School Classroom” By: Mississippi Mike Mark 1.0

 

まだ科学技術が進歩していない何世紀も前、人々は国家の習慣と同様に他国や未開の土地についての情報を得るために冒険家が書いた書物を頼りにしていました。当時の冒険家は人類学者や地理学者でもありました。今から紹介する10人のアラブ人は私たちが現在知っている世界の発見に貢献した最も重要な人物です。また、その頃のアラブの文明は科学と開発の点において世界で最も進んでいました。
Ibn Battuta (イブン・バットゥータ)
彼は最も有名な冒険家で、イブン・バットゥータの旅は数ある旅行記の中で最も広く知られていました。冒険者であるだけでなく、モロッコ初の歴史家、裁判官、法律専門家でもありました。725年に開始した旅では、モロッコ、エジプト、スーダン、シリア、ヒジャーズ、ティハーマ、イラク、ペルシア、イエメン、オマーン、トルキスタン、そして海を越えてインド、中国、ジャバ、タタール、中央アフリカまで辿り着きました。その後、モロッコに戻り、その旅の出来事を口述し、書きとらせました。それは文書として集められ、ウィキペディアでは諸都市の新奇さと旅の驚異に関する観察者たちへの贈り物と訳されています。そして旅行記と呼ばれ、世界のほとんどの言語に翻訳されています。
Al Idrisi (イドリーシー)
彼はモロッコのセルタという街で生まれました。イスラム学者の一人で、他のイスラム学者と同じように多種多様な興味と功績を持っていました。科学や地理学の先駆者であり、文学や詩の作家でした。更に彼は薬学、哲学、天文学をも学び、その後の冒険家たちが頼りにする河川や湖、高地の地図を描くことに成功しました。彼はヒジャーズ、ティハーマ、エジプト、フランス、イギリス、コンスタンティノープル、小アジアやアナトリアを巡り、地図に残したのです。彼の偉業の1つは緯度と経度を使った世界地図を作ったことです。しかし、それはロジャー2世の死後、破壊されてしまいました。
Ibn Jubayr al Andalusi (イブン・ジュバイル・アンダルス)
彼は地理学者であると同時に、探検家、作家、詩人でもありました。王子は彼を呼び出し、7杯のワインを無理に飲ませ、そして彼にそれと同じ数の通貨を与えました。彼は罪滅ぼしをしようと、2年間をかけてメッカを巡礼するためにその通貨を使ったと言われています。その旅の間、彼は日記をつけており、それはイブン・ジュバイルの旅や旅行条約書として知られています。その書物はウィリアム・ライトによって翻訳されました。
イブン・ジュバイルは3度に渡る世界の旅をしたことで有名であり、そして最終的にはアレクサンドリアに定住しました。
Ahmad Bin Fadlan (アフマド・ビン・ファドゥラーン)
彼はバグダットのイスラム帝国の時代である10世紀に住んでいたイスラム科学者であり、冒険家でもありました。イスラム文化に親しみのない地域ロシアについて書き記し、その地域の最初の説明書を残しました。スラブ民族の王は世界を征服したイスラム文明をよく知るために、自分の元に使節を送らせようとイスラムのカリフに手紙を書きました。その返事として、イスラムのカリフはファドゥラーン率いる使節を王に送ったのです。
彼はその当時の冒険家や作家と違う方法でボルガのスラム宗教について説明しました。単にその場所の長い物語を書いただけではなく、見たすべてのことを書き記したのです。それは彼らの習慣、ロシアにおける女性の地位、生き方、死んだ後の埋葬の仕方など、多岐に渡っています。そして今日まで、信頼性のある広範囲な参考文献とされています。
ファドゥラーンの人生はアブドゥル・サラム・バカリによって書かれたアラブ使節の冒険という本の主題になりました。また、アントニオ・バンデラが主演するウォーリアーズと呼ばれるアメリカ映画や2005年の世界の屋根と呼ばれるテレビシリーズの主題にもなっています。
Ahmad Ibn Majed (アフマド・イブン・マージド)
彼はアラブのムスリムの地理学者でした。そして天文学、地理学、航海に優れた船員であり、そこではポルトガル人に海の王子と呼ばれていました。彼は今日まで使われている航海についての本や文献を多く執筆しました。紅海、バーバラ湾、インド洋、シナ海のエキスパートだったのです。
彼はバスコ・ダ・ガマとの有名な旅、つまりインドまでの海路を見つけるために喜望峰を回った旅と関連があります。その旅の間に彼は主要な役割を果たしたため、いくつかの出典ではこの発見を彼の功績とみなしています。実際、彼が使った測定方法を通して航海の科学に大きく貢献しました。そして多くの著書と同様にその後世界を発見する航海士を助けることになるコンパスの発達にも貢献したのです。
Al Hasan Al Wazzan (アル・ハッサン・アル・ワザン)
彼もまた冒険家であり、彼の人生は実際多くの名作映画を生み出してきました。彼はスペインの支配下になる以前のアンダルシアに生まれ、そこで少年時代を過ごしました。その後、彼はモロッコのフェズ街に移り住みました。そこは彼がスルタンの大使となった場所でもあります。彼はたくさんの国を行き来し、特に“Timbuktu”と呼ばれるアフリカからエジプト、イスタンブール、そしてメッカ巡礼を周りました。それは、彼がスペインの海賊に捉えられ、ローマ教皇のレオ10世に贈り物として献上されるまで続きました。そして彼はキリスト教になること、そしてアラブ言語を教えるためにローマに住むことを強制されました。
彼は監禁されている間、文学と地理学に関する多くの本を執筆しました。そのうち最も重要とされているのは;アフリカの説明書です。BBCチャンネルはレオ・アフリカヌスという題名で、彼の人生についてドキュメンタリー映画を製作しました。またレバノンのある作家は;世界中をまたにかけた男、レオ・アフリカヌスという小説を書きました。
Ibn Hawkal (イブン・ハウカル)
彼は10世紀の作家、地理学者、歴史家、そして冒険家でした。977年に地球の想像という有名な本を執筆しました。残念なことに、この冒険家について知られていることはほとんどなく、入手可能な情報は、彼が書いた本しかありません。しかしながら、彼はアフリカとアジアという遠い距離を30年かけて旅をした旅人として知られています。著書の中では、スペイン、イタリア、シチリア、そしてビザンツ帝国について詳細に書き記しています。
Al Makdisi (マクディシ)
彼はパレスチナに生まれ、そこで少年時代を過ごし、読み書きを学び、コーランを暗記しました。彼は最初、イラクに旅をすることから始め、そこで教育を受けました。そこから巡礼をする目的でアラビア半島に向かい、その後イラク、ダマスクス、エジプト、モロッコ、ペルシア王国、フーゼスターン、そしてシンドを訪れました。彼は40歳でシーラーズやペルシアについて本を完成させ、訪れた場所に関して、使ったお金や街々の間の距離まで詳細に書き記しました。彼はファッション、通貨、習慣などのそれぞれの分野で社会の特性を特定し、イスラムの国を14の区域、つまり6つのアラビア地域と8つの他国に分けました。
Abu al Hasan al Masoudi (ハサン・マスディー)
彼は偉大な冒険家だったことに加え、科学的な功績でも有名でした。彼の書物は、進化論、風車、そしてかんきつ類の果物がシンディーからエジプトに運ばれてきたことによって起こった遺伝的浮動について、などがあります。彼はイラクに生まれ、ペルシア、インド、セイロン、カスピ海、スーダン、南アラブのペニンシュラ、レバン、ローマを旅し、エジプトで人生を終えました。
彼の書物の中で最も重要なものは黄金の牧草地と呼ばれる本で、それには彼が訪れた国の人々に関する価値ある人類学的な情報が記載されています。彼は、他の多くの大切な情報と共に、人々の身体的で個人的な特徴や、伝統、習慣、技術を書き記したのです。
Hasan al Marrakechi (ハサン・マラケッシュ)
彼は中央集権主義の時代に、モロッコに住んでいました。地理学、天文学、数学、そして日時計の発明に大きく貢献しました。彼は、マグリブ地域の新たな地図を描くことができるまで、たくさんの旅をしました。これまでの古い地図に多くの調整を加えたのです。
(パンオリエントニュース)